最高裁判所第一小法廷 平成9年(オ)139号 判決 1999年7月19日
上告人
高倉三枝子
被上告人(原告)
雨森将隆
主文
原判決を破棄する。
被上告人の控訴を棄却する。
控訴費用及び上告費用は被上告人の負担とする。
理由
上告代理人中山敬三の上告理由一の第三点、上告代理人田邨正義、同佐野真の上告理由第一点について
一 本件訴訟は、被上告人運転の自動二輪車(以下「被上告人車」という。)が上告人運転の普通乗用自動車(以下「上告人車」という。)と衝突した事故によって被上告人が傷害を受けたとして、被上告人が上告人に対して自動車損害賠償保障法三条に基づき損害賠償を求めるものであり、原審が適法に確定した本件事故の概要は、次のとおりである。
1 被上告人は、昭和六一年一〇月五日午前一一時ころ、被上告人車を運転して国道二一二号線を大分県日田市方面から同県日田郡中津江村方面に向けて左側車線(以下「下り車線」という。)を時速五〇キロメートルで進行し、同郡大山町大字西大山響峠先に差し掛かった際、道路が左に大きく曲がっていたので、時速三〇キロメートルに減速し、道路中央線の内側に沿って進行していたところ、中津江村方面から対向車線(以下「登り車線」という。)を時速四五キロメートルで進行してきた八木洋一運転の軽四輪貨物自動車(以下「八木車」という。)が、道路中央線に接近し、その車体右側が中央線を越えたため、被上告人車の前輪と八木車の右側後部とが接触した(以下、この接触を「第一事故」という。)。
2 第一事故により、被上告人車は左に傾き、中央線上の地点でスタンドを接地させ(以下、この接地を「接地」、接地した地点を「接地地点」という。)、路面を滑走して登り車線に進入し、八木車の後方を時速四五キロメートルで進行してきた上告人車と登り車線内で衝突した(以下、この衝突を「第二事故」という。)。
3 本件事故現場付近の道路は、アスファルト舗装がされ、その幅員は、下り車線が三・二メートル、登り車線が三・一メートルで、それぞれその外側に幅〇・三メートル、幅〇・四メートルの路側帯があり、日田市方面から中津江村方面に向けて緩やかに下り、左に大きく曲がっている。また、右道路は、最高速度が時速四〇キロメートルと指定され、追越しのための右側部分はみ出し禁止の規制がされていた。本件事故当時、天候は晴れで道路は乾燥していた。
4 第一事故地点から接地地点までの距離は二・五八メートルであり、接地地点から登り車線内に向かって被上告人車のスタンドによって刻された長さ七・四メートルの擦過痕があり、その末尾は中央線より一・三メートルの地点である。被上告人車は、第一事故から接地までに〇・三一秒、接地から第二事故までに一・二七秒(スタンド接地による減速を考慮)を要しており、第一事故から第二事故までに要した時間は一・五八秒である。他方、時速四五キロメートルで進行していた上告人車は、第一事故発生後右一・五八秒間に一九・七五メートル進行して被上告人車と衝突(第二事故)したことになり、第一事故発生時点における上告人車と被上告人車との距離は二九・七三メートルである。なお、上告人車は、被上告人車と衝突後五・五メートル進行して停止した。
二 原審は、右事実関係の下で、次のとおり判断して、上告人の損害賠償責任を認めた。
乾燥したアスファルト舗装路面の摩擦係数を〇・五五、空走時間を〇・六秒とした場合に、時速四〇キロメートルで走行する自動車が停止するまでの距離(以下「停止距離」という。)は、空走距離六・六七メートルと制動距離一一・二三メートルの合計一七・九〇メートルであるところ、上告人車が第一事故発生後第二事故発生までに進行した距離は一九・七五メートルであるから、上告人が指定最高速度の時速四〇キロメートルを遵守して進行し、適切な制動措置及びハンドル操作を執っていたとすれば、第二事故を避け得たのではないかとの疑問が生じ、上告人の無過失を認めるに足りない。
三 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
原審の右判断は、上告人の第二事故の回避義務が第一事故発生の時点で生じたことを前提とするが、前記事実関係によれば、第一事故は、下り車線内で発生したものであって、上告人の進行する登り車線内で発生したものではなく、また、事故の態様も被上告人車の前輪と八木車の右側後部とが接触するというものであって、このような場合、これを目撃した対向車線を走行する自動車運転者において、その時点で、接触車のその後の動向を予測することは極めて困難であるから、接触車が自己の進行車線に進入してくることまでを予測して衝突等の事故の発生を回避する措置を執るべきことを期待することはできない。そうすると、本件においては、第一事故発生の時点において上告人に右回避義務があったということはできず、右回避義務を問い得るのは、被上告人車が接地地点に至った時点(以下「接地時点」という。)であるというべきである。
そして、原審の計算によると、上告人車が指定最高速度である時速四〇キロメートルで進行していたものとした場合における上告人車の停止距離は一七・九〇メートルであるというのであるところ、上告人車は、接地時点では、第二事故地点まで一五・八八メートルないしは一六・三一メートル(前者は、前記一九・七五メートルから、被上告人車が第一事故後接地地点までに要した〇・三一秒の間に上告人車が時速四五キロメートルで進行する距離三・八七メートルを差し引いたもの、後者は、右一九・七五メートルから〇・三一秒の間に上告人車が時速四〇キロメートルで進行する距離三・四四メートルを差し引いたもの)に接近していたことになるから、上告人が接地時点で急制動の措置を執ったとしても、第二事故地点の手前で上告人車を停止させることは不可能であったといわざるを得ない(なお、原審は、上告人車の停止距離を算出するに当たり、空走時間(自動車運転者が危険を発見し、これに反応して制動措置を執り、制動機能の効果が発生するまでの全時間)を〇・六秒としているが、通常、自動車運転者は、異常な事故の発生を予測して自動車を運転しているわけではないのであり、本件事故のような突発的事故に遭遇した場合における空走時間を〇・六秒とするのは、自動車運転者に酷に過ぎるというべきである。)。
また、前記原審認定の本件事故現場付近の道路状況や被上告人車が上告人車の走行車線内に中央線から少なくとも一・三メートル以上進入していることに照らすと、その他の方法により本件第二事故を回避することも著しく困難であったというべきである。
以上と異なる原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。右の趣旨をいう論旨は理由があり、原判決は、その余の上告理由について判断するまでもなく破棄を免れない。以上に説示したところによると、上告人には過失がなく、また、自動車損害賠償保障法三条ただし書のその余の要件の存否について争いのない本件においては、上告人には同条ただし書の免責事由があるから、被上告人の請求は理由がない。したがって、被上告人の請求を棄却した第一審判決は正当であるから、被上告人の控訴を棄却することとする。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判官 大出俊郎 小野幹雄 遠藤光男 井嶋一友 藤井正雄)
上告代理人中山敬三の上告理由
一 上告理由の要点
1 原判決は、次に述べるとおり本件交通事故の発生経過についての認定と評価を全く誤るものであって、経験法則ないし採証法則の適用の誤り、または審理不尽、理由不備の違法があり、その違法が判決に影響を及ぼすこと明らかである。
2 ところで、原判決が認定し評価した本件交通事故の発生経過は、全く事実に反し、その評価を誤るものであるが、とりわけ重要なものとしては、(1)被上告人車と八木車との接触地点、(2)第一事故から第二事故までの時間、(3)期待される空走時間、(4)過失相殺の諸点であるので、以下、具体的に詳論する。
第一点 被上告人車と八木車との接触地点について
1 原判決は、「中津江村方面から時速四五キロメートルで対向してきた八木車が右に大きく曲がるために中央線に接近し、その車体右側が中央車線を超えるために、控訴人車(被上告人車)の前輪と八木車の右側後部が接触し、そのため、控訴人車(被上告人車)は左側に転倒しスタンドを接地させながら路面を滑走して」と認定し、被上告人車と八木車とが、八木車が中央線を越えたために接触したとするのである。
2 しかしながら、右認定は、採証法則の適用の誤りというほかなく、少なくとも審理不尽、理由不備の違法がある。
3 原判決の右認定は、被上告人本人、証人太田安彦、鑑定(原審)等の証拠によるものであるが、かかる証拠は、いずれも信用し難いものというほかない。
即ち、(一) 被上告人本人の尋問結果は、少なくとも供述調書(甲第一七号証)とは異なるものであって、供述の変遷が認められる。
(二) 証人太田安彦は、内燃機関、燃焼、着火に関する自動車工学を専門とするものであり、交通事故発生経過に関る分析をする研究者ではなく(証人太田安彦平成六年一二月一三日付証人調書一~四項参照)、そもそも鑑定人としての適性を欠くものである。
現に、当初は、空走時間について全く考慮しない鑑定書を作成し、批判されてのちも如何なるデーターであるのか分らない資料をもって空走時間を〇・四秒と断定し、かつ、路面の摩擦係数については、極めて恣意的な数値を用いているのであるところ、およそ、太田安彦による鑑定及び意見書等を信用しえるものでないといわざるをえないのである。
(三) そして、原判決が擦過痕がスタンドによって刻まれたと認定しているが、そのスタンド(ステップ)と単車の車輪の位置関係からして、証人太田安彦は次のとおり接触地点について曖昧な供述となっているのである。(証人太田安彦平成六年一二月一三日付証人調書八九~九〇項参照)
イ 擦過痕の始点はセンターラインですが、単車の前・後輪はこの擦過痕よりも二〇ないし四〇センチメートルぐらい対向車線の中にありますね。
はい。
ロ 擦過痕がつき始める直前だとしても単車の車輪は、被告八木運転の軽貨物自動車が走行していた車線の中に入っていた可能性はありませんか。
少しはあると思います。
4 そして、接触地点に関する上告人本人、控訴取下前被控訴人八木洋一らは、原判決の認定と異なる供述をして、その内容は首尾一貫しているものであるところ、その信用性は高いものである。
5 以上のとおり、全証拠を総合的に評価すれば、被上告人車と八木車との接触地点を原判決のとおりの認定はなしえないものであり、その点につき採証法則の誤りがあるうえ、少なくとも擦過痕がスタンド(ステップ)によるものであるとの認定をすれば、スタンド(ステップ)と単車の車輪の位置関係からさらに車輪の軌跡を検討して接触地点を確定する必要性がある訳であり、この点について審理不尽、理由不備の違法があるというほかないのである。
第二点 第一事故から第二事故までの時間について
1 原判決は、「第一事故から一・五八秒(第一事故から接地まで〇・三一秒、接地後第二事故まで一・二七秒)経過後に被控訴人車(上告人車)と衝突した(控訴人車(被上告人車)接地後については、路面摩擦による減速を考慮した。甲第三四参照)」と認定した。
2 しかしながら、右認定は経験則ないし採証法則の適用の誤りというほかなく、少なくとも審理不尽、理由不備の違法がある。
3 先づ、原判決は、第一事故から接地まで〇・三一秒とするが、恐らく鑑定(原審)にある「自動二輪車が軽四輪貨物自動車に接触してから小型乗用車に衝突するまでの時間は・・・略・・・一・二秒程度と得られるから」とすることを根拠としていると考えられる(即ち、一・二秒から擦過痕七・二メートルを形成したとされる〇・八九秒を控除したもの)が、被上告人車が如何なる姿勢でカーブを曲ろうとして、かつ、危険を覚え、如何なる状況で八木車と接触したのか具体的に明らかにされていないなかで、接触から接地までの時間を測る根拠はなく、結局のところ、極めて恣意的に定められた数値というほかなく、およそ採用しえる証拠とはいえないものである。
採証法則に反するものというほかないのである。
4 次に原判決は、接地後第二事故まで一・二七秒とし、路面摩擦による減速を考慮したとするが、かかる路面摩擦による減速は合理的なものではない。
(一) 原判決が証拠として評価した甲第三四号証は、『転倒した自動二輪車が路面を滑走するときの摩擦係数については、Day&Smithのデータがあり、それは例えば、佐藤武編著「自動車交通事故とその調査」技術書院(昭和六二年)のP131に紹介されている。それは時速四〇キロメートルのときの値で〇・四五~〇・五八である。この事件の場合完全に水平まで転倒し切ったかどうか疑わしいので、ここで擦過痕を印象した際の摩擦係数を小さめに〇・四と取った』とする。
(二) それ故、右摩擦係数の根拠を検討する必要があるが、右摩擦係数は「牽引車で転倒させた二輪車を牽引ロープを使用して速度Vで牽引しながら、牽引車に搭載した引張り荷重計の目盛りを八ミリカメラによって、時間的に変化する荷重値を記録する方法である。」(乙第四号証)ところ、単にスタンド(ステップ)が路面に接地したに過ぎない場合に適用しうる摩擦係数でなく、「この事件の場合、完全に水平まで転倒し切ったかどうか疑わしいので〇・四と小さめにとった」としても許容しうる摩擦係数でないことは経験則上明らかであるといわざるをえない。
(三) さらに甲第三四号証が引用する佐藤武編著「自動車交通事故とその調査」によれば、「特に摩擦係数がその事故において重要な場合は、その特定の事故現場において直接測定することが基本的な態度として望ましい」(乙第四号証)としているのであるが、仮りに原判決が、路面摩擦による減速を考慮するのであれば、例えば被上告人車の進行方向へ下っている本件交通事故現場を斟酌し、かつ、単にスタンド(ステップ)が接触しているに過ぎない場合を想定した鑑定等行い、判断すべきである。
上告人は、太田安彦が路面の摩擦係数を研究するものでないが故にその根拠として示した資料を検索して、乙第四号証を提出し、およそ摩擦係数〇・四は採りえない数値であることを主張しているのであるから、仮りに採用するとするのであれば、さらに専門家による鑑定が求められて然るべきである。
余りに原判決は、安易に証拠評価をしているといわざるをえない。
よって、原判決は採証法則の適用を誤り審理不尽の違法があるというほかなく、たとえ摩擦係数〇・四が合理的なものとすれば、その理由を付すべきであるところ、かかる点に関する検討もないことから、理由不備の違法があるというほかないのである。
第三点 期待される空走時間について
1 原判決は、「期待される空走時間は〇・六秒と認めるのが相当である。」と認定した。
2 しかしながら、原判決の右認定は、経験則ないし採証法則の適用を誤り、かつ、理由不備の違法がある。
3 原判決は、「証拠(乙一ないし三)によれば、空走時間につき〇・七ないし〇・八秒とするもの、約一秒とするもの、〇・四秒とするもの、平均〇・八秒とするもの等々の報告がされていることが認められるのであって」とし、あたかも空走時間に関する検討をしているかのようであるが、他方、かかる空走時間が直ちに一般ドライバーに適用しえないことを全く斟酌していないのである。
原判決が評価する乙第一号証によれば、原判決が検討する空走時間の数値は、『心を構えた被験者について測定した「制動操作遅れ時間」である。予め何が起こるか知っている被験者と全然それを予知していない一般ドライバーとでは、この空走距離の値は違ってくる。当然一般ドライバーの場合には空走時間はもっと長くなる。』としているのである。
又、乙第二号証によれば、『運転者が危険を察知した情報を判断して動作を開始し、自動車の制動装置の機能の稼働開始までの時間を反応時間というが、複雑反応時間ともいう。一方、単純反応時間は、「緑色のランプが赤色になったらブレーキを踏みなさい」と被験者があらかじめ心理的準備が整っているときの時間で、早いもので〇・六秒、遅いもので約〇・七五秒であるが、実際の事故の反応時間より早いため、鑑定には不向きである。何故ならば、実際の事故では、事故当事者の運転者の心理的準備が整っていないときに発生しているからである。とくに、六〇才以上の老年や運転を職業としていない女性の場合は、危険を察知してから情報を判断するまで、一秒以上の時間を要するからでもある。』としているのである。
さらに「ドライバーは自分の反応が〇・八秒か一秒程度でできるのだと考えると危険である。実際の運転場面でとっさの場合はブレーキを踏むかハンドルを切るかなど迷った場合、てき面に反応時間はのびてしまう。場合によっては一・五秒から二秒くらいかかるものだと心にとめておき」(上告人の平成七年一一月一六日付準備書面添付資料)とされ、いわば、実験値による空走時間が直ちに一般ドライバーの運転場面に適用されないことは公知の事実ともいえる経験則である。
4 さらに原判決が認定した〇・六秒はいかなる証拠により認められるのであろうか、認定しえる証拠は一切ないというほかないのである。
仮りに証人太田安彦あるいは意見書(甲第三三号証)を斟酌したとするのであれば、余りに杜撰なものである。
即ち、証人太田安彦は、内燃機関の研究者に過ぎないものであり、意見書(甲第三三号証)に添付された資料についても、どういった実験に基づいて出たデータか全く理解されていないのである。(控訴審における証人太田安彦の平成八年五月二九日付証人調書八八項~一〇二項参照)
5 以上のとおり、原判決は、上告人が証人太田安彦及び同人が示した資料をそのままに証拠として採用しえないことを示すものとして提出した乙第一乃至三号証等を何ら斟酌せず、極めて恣意的に証拠評価したものであり、採証法則の適用はもとより、一般ドライバーに期待される空走時間の経験則の適用にも反するばかりでなく、何故に〇・六秒としたか、その理由を欠く不備なものというほかないのである。
第四点 過失相殺について
1 原判決は、「控訴人車(被上告人車)は、八木車が中央線を越えることなく進行しておれば、これと安全に離合できる余裕を保って進行していたが、離合直前に八木車が中央線を越えたため接触したことが認められるのであって、第一事故の発生につき控訴人(被上告人)に過失があったものということはできない。」とした。
2 しかしながら、原判決の右認定は、過失相殺の精神を全く理解せず理由不備の違法があるというほかないのである。
3 原判決にいうところの「離合直前に八木車が中央線を越えたため接触したことが認められるのであって」とすることを根拠に被上告人の過失を問わないのであるが、かかる点は、八木車の過失を間う根拠とはなりえても、被上告人の過失を否定する根拠とはなりえない筈である。
即ち、(一) 仮りに、八木車が中央線を越えたとしても、わずかに中央線を越えたにすぎず、被上告人車が接触を回避しえる道路巾員は十分に確保されている状況下であったところ、被上告人が自動二輪車を運転し、カーブを走行するに前方を注視し適切な速度で進行すれば、前方より走行してくる八木車の存在を十分に認識しえた筈であるから、八木車がわずか中央線を越えてきたとしてもその接触は避けうるものである。
要するに、被上告人の前方を注視しての安全運転義務が問われているのである。
(二) そして、被上告人は、八木車と接触するどのくらい前に八木車を発見したかについて「距離的にははっきり分りません。」(被上告人本人調書三六項)とし、八木車がセンターラインを越えて被上告人の車線に入って来たのを認識したのは、「被告八木の車を発見したときです。」(前同調書三七項)とし、かつ、八木車を「発見してから危ないと思いあわててブレーキをかけて自分の単車を止めようとしましたが、自分があわてていてどうしたか覚えていません。」(前同調書三八項)とするのであって、まさに接触直前まで、八木車の存在を発見していないというほかないのである。
被上告人は、まさに前方を注視しての安全運転義務があるというほかないのであって、かかる義務を怠ったがために、いわば「離合直前に八木車が中央線を越えた」ことに対応できなかった過失があるというほかないのである。
4 さらにいえば、原判決は、自ら走行車線を走行していた上告人に対して、突然右前方から深く進入してきた被上告人車との衝突を回避できなかったとして、その責任を全面的に肯定している。
これに対して、わずか中央線を越えて進入したにすぎない八木車との接触について被上告人の責任が問われないのは余りに公平を欠くものである。
5 要するに原判決は、過失相殺の精神を全く理解しない結果、十分な理由も示しえないままに、上告人が主張した本来問われるべき被上告人の過失について全く検討することもなく(その意味では弁論主義にも反するといって良い)、その過失がないとしたのであって、少なくとも理由不備の違法があるというほかないのである。
二 むすび
1 本件全証拠を正しく評価して、経験則ないし採証法則を正しく適用すれば、上告人の責任は認められる筈もなく、少なくともその責任は、極めて制限的に評価さるべきところ、原判決は破棄を免れないのである。
2 参考すべき判例を示すと次のとおりである。
(一) 東京地裁昭和六二年四月二四日判決(交民集二〇巻二号五二七頁参照)
堤防沿いに走る幅員五メートル余りのゆるやかにカーブした道路を被告車(普通乗用自動車)が制限速度を少し上回る時速四〇キロメートル強の速度で走行中、対向接近中の原告車(自動二輪車)が、わずか二ないし三〇メートルの真近に至って、突然中央線を越えて斜めに進入してきたため、衝突回避の急制動措置を講じたが間に合わず、自動車の右前部角を原告車に衝突させ、原告車運転者を死亡させた事故につき、被告車所有運転者に自動車損害賠償保障法三条ただし書の免責を認めた。
(二) 東京高裁昭和五五年二月二八日判決(交民集一三巻一号五三頁参照)
緩やかなカーブにおける大型トレーラー(加害車)と対向の軽四輪貨物自動車(被害車)のセンターライン付近での衝突事故につき、鑑定の結果等から衝突時にセンターラインを越えていたのはトレーラーの方であるとし、自動車損害賠償保障法三条ただし書の免責を認めた一審判決を取消して運行供用者責任を認めながら、右事故につき被害者も自車線を右寄りに走行して加害者とすれ違いをする余裕が十分にあったとし、衝突直前まで時速六〇キロメートルのままで対向車線寄りに走行を続けた被害者に八〇パーセントの過失相殺を認めた。
3 ところで、本件全証拠のなかで、客観的事実として評価できるものは、自動二輪車の擦過痕が七・四メートルであったこと、及び、上告人車が自動二輪車と衝突して五・五メートルで停止していることであるが、かかる事実に正しい経験則を適用すると、次のとおり本件交通事故の発生経過に関して上告人の過失責任はないと評価できるものである。
即ち、(一) 擦過痕が七・四メートルであることは、上告人が自動二輪車の走行の異常(それが接触か転倒かいずれにせよ)を発見し、対応措置を採り始めなければならない時から衝突までの期間を計りうる最も短い時間である。
仮りに自動二輪車の速度が概ね時速三〇キロメートルとすれば、秒速(一秒)八・三三三メートルとなり、擦過痕七・四メートルは、せいぜい〇・九秒であり、又、太田安彦鑑定(それは、自動二輪車が八木車輌に接触してのち上告人車に衝突するまでとする。)によっても、一・二秒であるところ、〇・九秒乃至一・二秒の間で衝突の回避が可能であったか否かということになるのである。
尚、自動二輪車の転倒による摩擦は、擦過痕がステップによるものであると推測されることから、斟酌する程のものでなく、又、自動二輪車の速度が時速三〇キロメートルを超えていたとすれば、上告人が対応しえる時間はさらに短くなり、検討するに値しないものである。
(二) ところで、実際に道路を通行する場合において、例えばブレーキを踏むか、ハンドルを切るか迷いながら、互いの操作を余儀なくされた場合の反応時間は、明らかに〇・八秒を超えるものであって、本件の〇・九秒乃至一・二秒は、せいぜい反応時間に等しいものともいえ、上告人において自動二輪車との衝突を回避しえなかったことが明白である。
(三) 次に、上告人車が自動二輪車と衝突して約五・五メートルで停止していることは、上告人車の速度がそれ程でなく、又、上告人が衝突を回避すべく適切な対応を採ったことを示している。
前述のとおり、上告人が自動二輪車の接触あるいは転倒を発見して自動二輪車までの衝突の時間が〇・九秒から一・二秒であるとして、仮りに上告人車の速度を時速四〇キロメートルとすれば、その間一〇・〇〇乃至一三・三三メートルを走行し、衝突から停止までの約五・五メートルを加えると、結局のところ、上告人車は、自動二輪車の走行の異常を発見してから約一五・五から一八・八三メートルの間に停止したことになる。
(四) ところで、時速四〇キロメートルでの走行車輌が停止するまでの距離をみると、反応時間を〇・八秒と仮定すれば、空走距離が八・八九メートルとなり、アスファルト舗装の摩擦係数〇・五五とすれば、制動距離が一一・二三メートルとなり、合計二〇・一二メートルとなる。(乙第三号証)
右標準的な停止までの距離からして、上告人車が約一五・五から一八・八三メートルの間で停止したことは、上告人車の速度が時速四〇キロメートル以下であったか、又、上告人の反応時間が〇・八秒以下であったか、いずれかと推認されるのである。
(五) 以上のとおり、一般ドライバーに期待される反応時間はもとより、実験値による反応時間を仮定しても、上告人において自動二輪車との衝突の回避可能性はなく、無過失であり、これに反する証拠は一切ないと評価できるのである。
4 要するに、たとえわずかに制限速度を超えて走行していたとしても、突然右前方より自己の走行車線内に進入してきたものに対して、わずか一秒前後の間で衝突を回避しえないことは、経験則の示すところであり、二ないし三〇メートル真近に至って突然中央線を越え斜めに進入してきた事例につき、衝突を回避しえないとした前記2の(一)の判決からしても、本件交通事故発生に関する上告人の責任を認める余地はない。
5 又、仮りに過失相殺についていえば、上告人と被上告人との過失を斟酌すると、少なくとも上告人との関係について被上告人の過失が大きく、損害の公平な分担という視点に加え前記2の(二)の判例に照らしても、上告人の損害賠償責任の限度は、極めて制限的に認定さるべきである。
6 以上の次第であり、原判決は、破棄さるべきである。
以上
上告代理人田邨正義、同佐野真の上告理由
第一点
原判決には、上告人の無過失を認めるに足りないとした点において、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)第三条ただし書にいう「自動車の運行に関し注意を怠らなかったこと」の解釈・適用を誤った違法がある。
一 自賠法三条は、過失の立証責任の転換をはかった規定であって、「過失」の概念そのものを変更し、特段に高度化したものではない。
本件は、対向車線を走行中の自動二輪車が上告人車の進路に突然進入したことに起因して発生した事故であることから、上告人側の過失の有無を論じるについては、結果回避可能性の存否が専ら争点となる(自賠法三条の母法ともいうべきドイツの道路交通法七条は「避けえざる出来事」も免責事由としており、自賠法三条ただし書の「注意を怠らなかったこと」の中には、結果回避可能性のない場合を含むことはいうまでもない)。過失の構成要素としての結果回避可能性もまた「通常人」の能力を基準として判断されなければならないのは当然である。
「通常人」といっても、本件の場合は自動車運転者としての通常人を措定することになるが、自動車運転免許取得人口は約六九八〇万人にも達する今日、中には職業運転手や職業としないまでも日常頻繁に自動車運転に携わる熟練者もある反面、免許取得後日が浅かったり、休日まれにしか運転をしない者、さらには異常事態に対する反応時間ないし能力の相対的な低下を免れない高年齢層も含まれているのである(原判決も引用する乙第二号証は、六〇歳以上の高年齢層の反応時間については、一般の場合の一秒の倍を要すると述べる)。
「通常人」とは、このように巾の広い自動車運転者層中の運転技倆、能力優秀者を意味するのでないのはもとより、単なる平均をとったものでもありえない。単純にせよ加重にせよ厖大な運転者人口の技術・能力の平均を計算すること自体そもそも不可能事と思われるが、そのことをさておき、機械的、統計的平均をもって過失認定の基礎である「通常人」におきかえることは、自動車運転者人口の相当多数を占めざるを得ない平均値未満の能力しかない人たちを、民事上(あるいは刑法上も)運転不適格者と決めつけるに等しく、ひいてはこれらの者が自動車を運転すること自体を過失とみなすことにさえつながりかねないからである(異常事態に対する反応能力が相対的に劣る運転者は、このことを自覚し、自己の能力に適合した速度、車両距離等を保持する必要のあることはいうまでもないが、例えば突然のセンターラインオーバーの対向車との衝突は右のような事前の注意によって回避することは不可能であり、これを完全に避けるには自動車の運行自体を止めるしかない)。
モータリーゼーションが普及浸透し、自動車の使用が日常不可欠の生活手段と化したわが国社会の実情を考えると、自動車運転者としての「通常人」は、疾病や加齢により技倆・能力の低下の特に著しい者を除けば、現実の運転者人口の大多数を包含せざるをえない。女性のドライバーはもとよりシルバー世代(法曹の間にも六〇代はもとより七〇代のドライバーも少くない)をあたかも非通常人として切り捨てるようなことは失当である。
二 ところが、原判決は次のように述べ、本件事故時、上告人に対して期待される空走時間(反応時間に踏み替え時間と踏み込み時間とを加えた時間)は〇・六秒であるとする。
「しかし、証拠(乙一ないし三)によれば、空走時間につき、〇・七ないし〇・八秒とするもの、約一秒とするもの、〇・四ないし〇・八秒とするもの、平均〇・八秒であるとするもの等の報告がされていることが認められるのであって、通常人に対し〇・四秒の空走時間を期待するのは難きを強いるものであり、期待される空走時間は〇・六秒と認めるのが相当である。」
右判示を仔細に検討しても、〇・六秒がなぜ期待される数値なのか、根拠は一向に明らかではなく、上告人の免責の抗弁を排斥するという結論がまず存在し、これに都合がよいというだけで選ばれたとしか考えられないのである。「証拠(乙一ないし三)によれば」として引用している各種数値の全体を総合すると、〇・六秒というのは、平均よりもむしろ短いすなわち運転者に厳しい数値である。それにもかかわらず、なぜ〇・六秒ならば難きを強いることにならないのか、全く説明を欠いている点において理由そごの違法さえ免れない。加えて、原判決は第一事故に気付かなかった旨の上告人の供述の存在をことさら無視している。本件の場合、相互の位置関係からして第一事故の存在(果たして実在したのかどうか疑問があるが、この点はさておく)は八木車に妨げられて上告人の視界外であった可能性も考えられ、仮に視界内であったとしても余りに突発的であったため上告人がこれを認知しえなかったとしても格別責められるべき理由はないと考えられる。すなわち、上告人が衝突の危険を察知しえたのは、被上告人車の転倒後であり、これを始点とすれば、原判決は上告人に対し実質上〇・三秒弱(被上告人車の転倒接地に要した時間は原判決によれば〇・三一秒である)という反応時間を強いるに等しい。
いずれにせよ、原判決が自動車運転者人口の平均さえも明らかに超え、換言すれば運転者中多数が達しえないような厳しい反応時間をもって、結果回避可能性の判断基準としていることは、自賠法三条ただし書の解釈を誤った違法があるといわなければならない。
三 原判決の、さらに重要かつ決定的な誤りは、本件事故態様の特殊性について一切の顧慮を欠いていることにある。このような突然予知せざる危険が出現したときの運転者の反応時間が、危険を予知していたときと比較してはるかに長くかかることは経験則上明らかといわなければならない。
原判決が「証拠(乙一ないし三)によれば」として挙示する実験数値は、その方法の詳細は不明であるが、少くとも被験者は実験の目的(反応時間の調査)と方法(危険の出現の合図の仕方等)について告知を受けて実験に臨んだものと考えられる。換言すれば、これらは急制動措置をとるべく心理的準備が整っている場合の時間であって、乙第二号証も指摘するように、そもそも実際の事故の反応時間より短くて当然であり、いわんや本件のような運転者にとって不意打ちのケースにそのまま適用することは、およそ失当である。
ちなみに、乙第一号証は、「予知していないときの妨害物の視認距離は、それを予知しているときの2分の1である」という原則を紹介すると共に、反応時間に関する実験について
「図5―9は、坂道の頂点を越えたところに置いた妨害物をドライバーが発見して、ブレーキペダルに足を載せるまでの時間を測った知覚・反応時間の累積頻度分布である(P.L.Olson etal)。ここで、SURPRISEは、妨害物を全然予知しない場合、ALERTEDは、実験方法(何が起こるか)を予知している場合である。BRAKEは、フード上のランプの点灯に応じて制動する場合で、最も心を構えた心理状態での知覚・反応時間である。妨害物を予知しないドライバーの八五%タイル知覚・反応時間は、一・三秒である。」
と述べており、図5―9をみるとSURPRISEの場合は、ALERTEDの概ね一・五倍程度の反応時間を要していることがうかがえる(空走時間は、反応時間に踏み替え時間と踏み込み時間を加えたものであるから、反応時間の平均よりも長いことはいうまでもない)。
これら資料(乙第一ないし三号証は、過失の存否に関する法的判断の前提としての経験則を補充するものといってよい)によれば、予知しない危険の突然の出現という条件下で、自動車運転者たる「通常人」の能力を前提とする限り、空走時間が一秒を優に超えてもなんら異常ではなく、結果回避義務違反の非難を加えることはとうてい許されるべきではない。
他方、いわゆる第一事故から本件衝突までの経過時間に関する原判決の認定(一・五八秒)を前提としたとしても、第一事故を起点とした空走時間が〇・六秒(被上告人車転倒時を起点とすれば〇・三秒弱)を超えれば上告人車が制限速度内の時速四〇キロで走行していた場合でも本件衝突を避けえなかったことは原判決も認めるところである(計算上は、空走時間〇・六秒であれば上告人車は本件衝突地点で停止できたことになるが、被上告人車は上告人車との衝突がなければ滑走を続けたと考えられるから、衝突は避けられない。)。
いわんや、上告人が前述のような通常人たる運転者の通常の反応時間を要した場合には、本件衝突(被上告人の本件受傷を含む)を回避し得なかったことは明白である(太田鑑定人でさえも第一審の証言において、本件の場合、自動車研究所でテストドライバーのような運転熟練者であれば衝突回避が可能であったとしつつ、一般的なドライバーを前提にすれば「かなり難かしい」ことを認めている。)。
念の為付言すれば、自賠法三条但書による挙証責任の転換は、証拠の優越ないし高度の蓋然性で足りるとする訴訟上の証明の意義まで変更するものではない。これを本件に即して言えば、通常人の能力を前提とする限り被上告人にとって結果回避が不可能であった蓋然性が高度であることをもって、免責のための立証として十分であり、これを超えて、右蓋然度が一〇〇パーセントであること、つまり回避の可能性が全くなかったことまでの証明を要しないことは言うまでもない。
また、原判決の認定によれば、上告人車は当該具体的個所における制限速度を時速五キロメートルほど超えていたことになるが、ごく一般的な走行速度の範囲内であると共に、極めて厳格に制限速度を遵守していたとしても本件衝突を回避しえなかったことは前述のとおりであり、右の程度の軽微な制限速度違反と本件事故との間に因果関係の存在しないことは明らかである。
以上要するに、原判決は、注意義務の判断にあたって、運転者に対し、通常人どころか自動車研究所のテストドライバー、あるいはそれ以上高度の能力を要求している点において、過失概念ひいては自賠法三条ただし書の解釈・適用を誤った違法があり、かつ、右法令違背が判決の結論に明らかに影響を及ぼすものであることは多言を要しない。
第二点
原判決は、本件事故の回避可能性の判断の前提たる事実の認定方法について、採証法則の適用を誤った違法がある。
一 原判決は、第一事故から本件衝突までの経過時間を一・五八秒と認定している。これは、次の二数値の合計と見られる。
<1> 第一事故から被上告人車の接地まで〇・三一秒
<2> 接地後、初速三〇キロの被上告人車が擦過痕を残して七・四メートル滑走するのに要する時間一・二七秒
右認定が依拠した太田鑑定の資料中、明らかに客観的といえるのは七・四メートルの擦過痕のみであり、その他の要素は以下に述べるとおり主観的であったり曖昧なものでしかない。
<1>の接地までの時間は、当初平成六年七月四日付鑑定書では〇・五秒であったのが、甲第三四号証では〇・三一秒に変わっているが、いずれの数値も根拠は不明である。
また、<2>のうち、七・四メートルを滑走する際の路面との摩擦係数を〇・四としたのも、必ずしも明確な根拠があるとは言えない。
さらには、最も結果に与える影響の大きい被上告人車の速度を時速三〇キロメートルとしているが、その根拠は被上告人の供述のみである。
そもそも運転者の体感速度は一般的にかなりの誤差を免れない上、被上告人の最初の供述、すなわち司法警察員調書の作成日は事故後八か月弱経過後の昭和六二年五月二六日であり、記憶が新鮮な時期のものではない。しかも、上告人や第一事故加害者である八木の無過失の主張が予想される時期であるから、被上告人もこれを意識し、自車速度を低めに供述しても不思議ではない。
太田鑑定は、「この部分のカーヴでは自動二輪車の側の車線がカーヴの内側になっていて、対向車線よりも半径が小さくなって曲率が大きいから、二輪車といえども対向車線より高い速度で走行することはできない」と述べるが、これは被上告人車の速度が八木車の四五キロより速くはないことの論拠とはなり得ても、被上告人車の速度を三〇キロと認める根拠とはならない(被上告人車は本件カーヴにおいて道路中央線直近を走行していたことは明白であり、実際の経路の半径は対向車線のそれと殆ど差がないと見てよい)。むしろ、被上告人車が本件カーヴを通過する際安全な内側寄りの進路をとれていないのは、被上告人の否定にもかかわらず、経験則上速度の制御不十分であったためである疑いが強い。他方甲第一五号証の「相手の単車乗りの人はかなりの速度があり、進行方向に対して左側にかなり上半身を傾けてカーヴを曲がっていました」という八木供述は現実感があり、単に自車の速度は三〇キロであった旨を繰り返す被上告人の証言と対比したとき、後者を信用し前者を排斥すべき合理的根拠は存在しないと思われる。
以上のような事情を考えると、原判決の依拠する被上告人車の三〇キロという速度が客観的真実に合致している保障はない。そこで、被上告人車の速度を時速三〇キロではなく、制限速度である四〇キロに変えてみると、速度が三分の四倍になれば、走行時間は単純計算で四分の三倍になる道理であるから、第一事故から本件衝突までの経過時間は、原判決の一・五八秒から一・二秒に減少する。第一事故から本件衝突までの経過時間が一・二秒とすれば、被上告人車と八木車の接触の瞬間を始点としての上告人車の空走時間がたとえ〇・四秒であっても本件衝突を避け得なかったことは、原判決の計算上明らかである。
すなわち、原判決及びその基礎をなす太田鑑定のように机上計算に依存した認定方法は、計算の前提をなす数値、例えば関係車両の速度がわずかに変わることにより結果も大きく変動することに留意しなければならない。念の為付言すれば、以上の論述は被上告人車の速度が時速四〇キロであった旨論証する趣旨ではなく、一見客観的で精緻に見える原判決の計算が、実は極めて薄弱な基礎に基づいていることを示すためのものである。
二 近時、いわゆる工学鑑定といわれるものが、交通事故案件の事実認定上利用されることが少なくないが、これら図上ないし机上計算を主たる手段とする鑑定は、すべて数字に変換することにより不確実なものを確実なもののように、あるいは主観的な供述でしかないものを客観的事実であるかのように見せかけ、錯覚させる危険をはらんでいることに十二分に注意する必要がある。このような工学鑑定を事実認定の補助手段として利用することを一概に排斥すべきではないとしても、数字の魔術に翻弄されることのないよう、健全な常識による制御が不可欠である。
本件について言えば、「概ね時速四五キロメートルというごく普通の走行速度で、先行車ともごく普通の車間距離(太田鑑定の計算を参考としたとしても二〇~三〇メートルと考えられる)を保って走行中、対向車線から単車が突然道路中央線を越えて自車に向けてかなりの速度で転倒滑走してきたとして、あなたには咄嗟のブレーキないしハンドル操作によって単車との衝突を避けられる自信があるか。」との問いに対し、裁判官が人間の能力に関する自らの体験と知識を基に英知を働かせ回答を与えることから始められるべきであった。
三 下級審ではあるが、いわゆるセンターラインオーバー・ケースにつき、昭和四六年ころから比較的最近までの判決を概観したところ、別添一覧のとおりであり、(6)、(13)の二件を除いて全て加害車両側に免責を認めている。免責を認めなかった二件のうち、別添一覧(6)の事案は、そもそも被害車がセンターラインをオーバーした原因が加害車にあることが強く疑われる事案であり、右原因が上告人と何ら関係のない第一事故であることが明白である本件とは事案を異にする。また(13)の事案は、現場が見通しの良い直線道路であること、被害車は衝突地点の約四〇メートル手前から進路をセンターライン方向にとっており、衝突後には方向を転回して車体がほぼ逆方向を向いていたことから、いわゆる出会い頭の正面衝突ではないと認められること、大型貨物自動車である加害車が制限速度(時速五〇キロ)をかなり上回る高速度で走行していたと推認されること等から、結果(被害四輪乗用車搭乗者の死亡)回避の可能性が相当程度窺える事案であり、やはり本件とは一線を画すものと言わねばならない。
いずれにせよここで留意すべきは、これら判決の中で、結果回避可能性の判断につき本件原判決のごとく机上計算によるわずか〇・数秒の反応時間と停止時間の差を根拠に実質的な有、無責の判断を行った判決はただの一件も存在しないことである(判決本文にあたれば明らかである)。
一例を挙げれば、別添一覧第(1)の判例は、夜間加害運転者が、自動二輪である被害車の前照灯がふらつくのを認めてから三秒足らずで事故が発生したと認定した上で、加害運転者には衝突を回避する措置を講じる時間的余裕はなかったものとして加害車の免責を認めている。
これら下級審判例と対比しても、原判決の突出は明らかである。原判決は事実認定に際し、前述のように机上計算に基づく〇・数秒といった微細な時間差の追求をもって事足れりとして、人間的能力に対する総合的、理性的な洞察を怠った点において、採証法則違反のそしりを免れない。
向後、工学鑑定追従ないし盲従型ともいうべき事実認定手法の蔓延を防ぐためにも、原判決は速やかに破棄されるべきである。
第三点
原判決が被上告人には過失相殺事由としてしん酌されるべき過失がないとしたのは、民法第七二二条第二項の解釈・適用を誤った違法がある。
一 本件は、八木と被上告人のいずれも自車は道路中央線内にあった旨主張しており、どちらが中央線を越えて進行したかが、そもそも主要な争点であった。
原判決は、太田鑑定に依拠して八木車の右側後部が中央線を越え、右部位に被上告人車の前輪が接触した旨認定しているが、右太田鑑定の主たる論拠は、「通常行なわれているカーヴの走行方法はいわゆるOut-In-Outである。ひとつのカーヴに進入するときまずカーヴの外周近くに寄り、カーヴの中央部分でカーヴの最も内側部分を通るように走ると、走行旋回半径が最も大きくなって、車両の安定性を損なわない」ことにある。
このような一般論をもって、接触地点を認定する手法の妥当性には多大の疑問の存するところであるが、この点をさておき原判決の認定に従ったとしても、八木車は通常行われているOut-In-Outの走行方法の結果として、カーヴの中央付近で右側のごく一部が中央線をはみだしたにすぎない。八木車と被上告人車の接触地点が中央線に限りなく近い地点であったことは、原判決添付の図面及びこれに示された被上告人車の滑走痕の位置及び方向からも明らかである。右原判決添付図面は太田鑑定書添付の図3と同一であるが、これと連続性を有する右鑑定書添付の図5には両車の接触地点が図示されており、右図は一メートルが八センチメートルに縮尺されているところ、接触地点は中央線からの距離は図上一センチメートルすなわち一二・五センチメートルにすぎない。
太田鑑定が指摘するように、本件事故現場のように曲率の大きいカーヴにおいてはOut-In-Outの走行方法をとるのが通常であり、その結果として、外廻りの車両すなわち自車進行方向からみて右曲りのカーヴを走行する四輪自動車はカーヴ中央付近で車体の右側の一部が道路中央線を越えることが往々にしてあり得るとすれば、対向車両の運転者に対しても、衝突の危険を避けるためカーヴ中央付近では極力道路中央線に接近しないよう適切な速度制御とハンドル操作をなすべき注意義務が課されて当然といわなければならない。しかも、本件の場合、被上告人車にとっては内廻り、すなわち自車進行方向からみて左曲りのカーヴであったから、前述のOut-In-Outの走行方法をとることによってカーヴの中央付近で自己の進行車線の左側部分、すなわち中央線から離れた進路を走行することは、車両の安定性を損うことなく、きわめて容易であった。それにもかかわらず、敢えて中央線の直近を走行した被上告人の過失(前述のように被上告人車は速度の出しすぎのためカーヴの曲率に適合した走行方法をとれなかった疑いが強いが、そのことはさておく)は、百歩譲ってもわずか一〇数センチメートルほど中央線からはみだして走行したに止まる八木車の過失と対比して優るとも劣らないものがある。
被上告人車にはしん酌すべき過失はないとした原判決は、自動車運転実態とのかい離はなはだしい形式論、観念論との批判を免れない。
二 さらに、本件を上告人の側からみれば、「もらい事故」の最たるものである。第一点で述べたとおり上告人には本件事故回避の可能性のなかったことは明白であるが、百歩譲って原判決の見解に従ったとしても、〇・一~二秒という極微少の反応時間の遅れがあったというに止まる。
他方、被上告人には、曲率の高い左曲りのカーヴを通行する際、対向車両がOut-In-Outの走行方向をとることが予見できたにもかかわらず、わずかな衝撃でも転倒等により制御不能に陥る危険をはらんだ単車の運転者でありながら、敢えて道路中央線の直近を走行し、右側後部がこれをわずか一〇数センチメートルはみだしていたにすぎない八木車との衝突を回避するための適切な制動、転把等の措置もなし得なかった過失ないし著しく不用意かつ危険な行動(過失相殺事由としての被害者過失は、損害賠償責任の帰責事由である過失と厳密な意味で同一である必要はないとされていることは周知のとおりである)のあったことは前述のとおりである。
この両者を対比すれば、後者こそが本件事故ひいては被上告人の受傷の決定的な原因力をなしていることは、何人の目にも明らかといわなければならない。
過失相殺減額を否定した原判決は、過失相殺制度の基礎をなす損害の公平な分担の理念に背反すること著しく、適正な裁量権行使の範囲を逸脱していることは明白である。
以上
(1)【裁判年月日等】 平成5年8月24日/大阪地方裁判所/判決/平成3年(ワ)第1077号
【出典名】 交通事故民事裁判例集26巻4号1019頁
(2)【裁判年月日等】 平成5年7月16日/大阪地方裁判所/判決/平成3年(ワ)第7956号
【出典名】 交通事故民事裁判例集26巻4号914頁
(3)【裁判年月日等】 平成5年4月23日/大津地方裁判所/判決/平成2年(ワ)第240号
【出典名】 交通事故民事裁判例集26巻2号516頁
(4)【裁判年月日等】 昭和62年1月28日/神戸地方裁判所/民事第1部/判決/昭和60年(ワ)第1934号
【出典名】 判例時報1236号131頁
(5)【裁判年月日等】 昭和60年2月26日/大阪地方裁判所/第15民事部/判決/昭和59年(ワ)第1436号
【出典名】 判例タイムズ555号319頁
(6)【裁判年月日等】 昭和55年4月28日/東京高等裁判所/民事第11部/判決/昭和54年(ネ)第193号
【出典名】 判例時報966号33頁
交通事故民事裁判例集13巻2号332頁
(7)【裁判年月日等】 昭和55年2月28日/東京高等裁判所/民事第12部/判決/昭和49年(ネ)第52号、第81号
【出典名】 判例時報962号66頁
東京高等裁判所(民事)判決時報31巻2号34頁
(8)【裁判年月日等】 昭和52年10月26日/東京高等裁判所/民事第17部/判決/昭和52年(ネ)第351号
【出典名】 判例時報878号74頁
(9)【裁判年月日等】 昭和52年8月25日/東京地方裁判所/民事第27部/判決/昭和48年(ワ)第10196号
【出典名】 訟務月報23巻10号1695頁
判例時報885号149頁
判例タイムズ365号395頁
交通事故民事裁判例集10巻4号1159頁
【判例評釈】 薄津芳・地方財務295号181頁1978年12月
(10)【裁判年月日等】 昭和51年12月20日/東京高等裁判所/民事第3部/判決/昭和50年(ネ)第2139号
【出典名】 判例時報845号56頁
(11)【裁判年月日等】 昭和50年12月9日/東京高等裁判所/第8民事部/判決/昭和48年(ネ)第2408号
【出典名】 判例時報810号34頁
交通事故民事裁判例集8巻6号1613頁
(12)【裁判年月日等】 昭和50年11月27日/東京高等裁判所/民事第2部/判決/昭和47年(ネ)第232号
【出典名】 判例時報804号51頁
(13)【裁判年月日等】 昭和49年10月14日/東京地方裁判所/民事第27部/判決/昭和47年(ワ)第9639号
【出典名】 判例時報775号149頁
(14)【裁判年月日等】 昭和46年12月22日/名古屋地方裁判所/民事第3部/判決/昭和40年(ワ)第1527号
【出典名】 判例タイムズ275号336頁